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放棄 

「政治とは価値の再分配機構と定義される。」らしい。

簡単に言えば、税金を徴収して、その使い方を決めること。

これこそが政治の最も重要な仕事といえる。

逆にいえば、お金を集中させなければ政治はできないし、生み出した価値を正しく再配分できなければ政治とはいえない事になる。

定額給付金。これがいつ支給されるのか知らないが、先の定義からすると対極にあるもののように思われる。

価値を生み出すべく集中させたお金を放棄・分散させる行為。

価値を再配分するどころか、生み出すことさえ拒否する。

もはや政治の放棄。これ以外に言いようが無い。

今日、ある知事が、定額給付金を受け取った市民から寄付を募って、小中学の備品購入費用に充填する構想をぶち上げたらしい。

「有効活用の方策を示すことも行政の役割だ」なんて、分からんでもないが、何だかなぁ。

あつめて、ちらして、手を打ってぇ、あつめて。

またちらして、手を打ってぇ、その手を上にぃ。

どうぞ、お手上げにならないようにして下さい。

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ECOなBAG 

手元にエコバッグがある。

エコバッグ。何かにつけ方々で配られていたり、オマケで付いていたりして結構目にすることが多い。

家中探したら、きっと5〜6個はあるハズに違いない。

どうしたものか。

重さを量ってみる。これは60g程。同じ大きさのレジ袋を量ると4g。

約15倍の質量である。

単純に考えてレジ袋の15倍使わないと同じにならない。

仮に1枚のレジ袋の使用回数を「商品の購入時」と「その後のゴミ袋」の2回として考えてみると、最低でも30回使わないといけない計算になる。30回使ってレジ袋とやっと同等。

15倍の質量を使ってでも「エコであるべきだ」との考えだろうから、やはりここは更に15倍の使用がエコ相応。

となれば、450回。1日1回の使用であれば450日。毎日使って1年強。となれば、家中には既に6年から7年分のエコバッグがあることになる。

エコバッグの主旨は十分に理解できるし、賛同することろである。

しかしならが、昨今のエコバッグはあまりにも「商品」として大量生産され、消費され過ぎている気がする。

無料で配布・提供されることも多いため、その意志が希薄な人間までもが手にすることが出来る現状。

エコバッグという「資源」の大量消費と浪費。

不要な大量のエコバッグを、レジ袋に押し込んで処分する。

そんな本末転倒な事にならないよう、祈るばかりである。


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仕事初め 

年明け、世間は仕事初め。

急速に後退した景気の影響で、例年以上に企業の商売繁盛の祈願が多いらしい。

我々の会社では例年のことだが、朝いちで宮司を招いての祈願祭。

厳粛な雰囲気の中、祝詞が奏上される。神妙な面持ちの面々。

祭壇には奉納品の数々。通常、海の物、山の物、それぞれが奉納される。

立派な鯛。白菜、人参、小松菜。

昆布、椎茸。

ん?春雨。マロニー?。旨そう。

じゃあ味ポンないの。味ぽん。あれば、まんま鍋。イカした鍋のデリバリー。

鯛鍋か、はたまた鯛じゃぶか。

日本酒もあるし、燗で一杯。

なんて、この罰アタリ。

頭の中の仕事初めには、まだ時間がかかりそうである。




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大晦日 

また一年が終わろうとしている。

やっと始めた年末大掃除の最中、振り返って見みた。

まぁ、その時々、それなりに色々な事はあった。大変な時期もあったな。

窓ガラスを拭き上げる。

とはいえ、振り返って見みると取り立てて劇的な出来事もなく、逆に全く何もないことも無い、そんな普通の一年。

隅々まで念入りに掃除機をかける。

そう、毎年やって来るいつもの”ありふれた年”。

近くの空き地で、ゴミを焼く。

それで良しとすべきなのだろう。

ゆっくりと立ち上った煙は、程なくして風に流され、空に消え入ってしまう。

しかし、そのありふれた一年でさえも、年々加速して過ぎ去っていくようで何だか空しい。

いい加減、行き場を無くしていた扇風機をやっと押入れにしまう。

近所のスーパーのレジ袋を無理やり被せられ、押入れの奥にひっそりと佇むその姿は、どこか寂しそうでもあり、ようやく安住の地にたどり着いて安堵しているようにも見えた。

もうすぐ新しい年がやってくる。

ごきげんよう。

ではまた。

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